コンテンツへスキップ

本記事は、今年の夏季留学説明会の京都大学会場に登壇してくださった、鈴木崇夫さんに執筆していただきました。学位留学経験者なら誰もが一度は考える、「留学後現地に残るか、日本に帰国するか」という問いについて、鈴木さんの経験をふまえて印象深くまとめていただきました。ぜひ最後まで読んでみてください!

高校生・大学生向けの講演で、こんな質問をしたことがある。「次の元メジャーリーガの共通点は何でしょう:野茂英雄、鈴木イチロー、長谷川滋利、松井秀喜、大塚昌則、斎藤隆、黒田博樹、上原浩治、松坂大輔。」正解は後述するとして、一年だけの留学で日本に帰るつもりが、通算で二十年以上もアメリカで生活して現在に至ってしまった私の経緯をお話したい。

京都大学の学部(航空工学科)在学中に、留学の準備をしていた時は、「航空宇宙工学の最先端を行くアメリカの大学ではどんな学生が、何をどんなふうに学んでいるのだろうか」との好奇心がその動機だったと記憶している(その答えは、基礎から応用まで根本原理をしっかり説明するという、良い意味で思っていたよりシンプルなスタイルだった)。一方で、日本の研究室では、朝から晩までオフィスにいる大学院生の先輩を見ながら、「博士課程は自分には勤まらないな」と確信したものである。そこで、一年だけで修士号が取れるStanford University の航空宇宙工学科に留学して(そもそも、TOEFL の点がはるかに足りない私には、夏期英語集中コースから入学する条件付きで、唯一入学を許可した大学だったので)、当初はすぐ日本に帰って就職する予定だった。

周りの環境というのは恐ろしいものである。Stanford University などでは、大学院一年生の半分以上が博士進学を目指している(Stanford 大学の航空宇宙工学科は、出願時に博士課程進学を希望したかどうかにかかわらず、修士号を取得後、希望者は博士課程に進学できる)。私自身は純粋に、日本と違い講義の終了後も学生に対し、熱心に解説する時間を惜しまない教授に毎日質問するが楽しかったのを覚えている。特に当時のベテラン教授陣の学問に対する懐の深さには驚嘆した。幸い、アメリカの大学にいる人は、学生・教員・職員を問わず、片言でしか英語を喋れない人に比較的寛容であるように思う。TOEFL の試験結果などはおそらくクラスで最下位であった私の議論にも、教授・学生とも対等に付き合ってくれた(さらに罪深いことに、そんな私が有償のTeaching/course assistance を三期も務めてさせていただいた)。

そうこうしているうちに、周りも自分も博士課程に進学するつもりになっていた。アメリカの大学院生に対する手厚い経済的サポートなどは、他の方の記述を参考にして頂けたらと思うが、キャンパスライフの面でも、博士課程になっても他学科の講義を受講し、指導教官以外の教授と自由に議論したり(それが縁で指導教官を変更することも、アメリカの大学院ではままある)、新入の外国人留学生サポートのための夏期英語講座アシスタントをしたりと、日本の大学院に比べて開放的な生活ができたので、五年間の博士課程の生活も私に勤まった。日本の研究室と比べると、アメリカの大学院の方が指導教官が直轄統治する(ポスドクや博士学生が下級生を指導するのではなく、指導教官が直接指導する)スタイルの教授が多かったことも、疑問を持ったら納得するまで議論したい私には向いていたと思う。日本でのおよそ五年間(学部四年に加えて、某大学院に約一年だけ通ったため)の学生生活と比べても、アメリカの学生生活で悩むことは少なかった。その頃には、博士号収得後、アメリカで働いてくことを疑っていなかった。

その後、現在のボーイング社での二か月のインターンに当たる仕事を経て、Caltech で三年半ほどポスドクをすることになるが、その間、多くの大学でインタビューを受けた挙句、アメリカで教員の職に就けず、その後日本に帰ることになったのは、逆に全くの想定外であった。幸い、福井大学が私を拾ってくれたので日本で教員として働くことになった。帰国した時よく、「日本とアメリカと、どちらが生活しやすいですか」と問われることがあった。この頃の私の答えは「アメリカの方が働きやすいが、日本の方が住みやすい」であった。ちなみに、福井大学に在籍中は、周りの先生方にはたいへん親切にしていただいた。ただ、キャリアの途中から日本の(昇進なり教育なりの)システムに入る場合は、初めからそのシステムで進んできた場合に比べてデメリットが大きいと思う。それから、研究や教育の本業以外の業務にかかる時間が年々増えていく日本の地方大学の現状にも大きな不安を抱くようになった。結局その後、日本で不安を抱きながら教員として残るか、教育の楽しみを捨ててアメリカにエンジニアとして戻るかの二択から後者を選択し、インターンとして働いていたころのマネージャーにボーイングの社員として戻りたい旨を伝えた。それでも、私が実際に再びアメリカに渡るときには、そもそも会社員として何年も勤まる自信はなく、「十年くらい経ったら日本に帰ってくるかな」とおぼろげに思っていたのを覚えている。それだけ、日本で暮らすことも、日本で教えることも魅力を感じていたんだと思う。

Fig1. 久しぶりに訪れたCaltech のFaculty Club “Athenaeum” にて

再びアメリカに戻り、六年ぶりにボーイング社で働き始めてから、(首になることなく!)約十三年が経過してしまった。幸い現職で、大学で行われるような基礎研究から、実際の民間航空機の開発・製造にかかわる仕事まで、幅広く担当させていただいているので、仕事で飽きることはない。私の部署は(例外的にではあるが)、半数程度、アメリカ以外の国で育ってきた社員がいるので、特に仕事レベルで外国人だからというハンデを感じたこともない(ただし、英語能力は長い目で見て仕事の評価に大きく影響を与える可能性は否定できないと思う)。そもそも永住権さえないステータスで働いていながら(永住権がない場合は、仕事上のハンデがある)、諸所の理由でその申請を遅らせてきたくらいである。アクセントのある、こなれない英単語を繋げながらも、昼食時間に同僚と社内の四方山ごとにジョークを交えて愚痴を楽しむのは、どこの国でも共通の息抜きだろう。一方で、アメリカの会社も以前より、個人主義から組織で動くことを重視するようになり、形式を重んじ、立場で物を言う人が多くなった印象である。その点では、残念ながらアメリカで働く環境はだいぶ「日本的」になった感がある。

さて、最初の質問に戻ろう。私の簡単な検索によれば答えは、「アメリカでの現役引退後も、家族をアメリカに残してきている」元メジャーリーガである。できることなら、彼らのうち何人が渡米当初からそれを計画していたのか聞いてみたい。調べていてこの結果に最初は少し驚いたが、最近は納得することが多い。これは近年、私の周りにいる日本から留学してきて、「アメリカでひとたび職に就いた」友人・知人を見渡しても、似たような傾向にある(つまり、彼らのうちで自ら日本に帰国する選択をした人はほとんどいない)。これには経済的格差(この言葉がだんだん適切になってきた気がする)も確かに影響してはいると思う。ただ、それだけが理由ではないと思う。私の場合は、現在に至るのは自らの選択というより与えられた機会によるところが大きい(そもそも日本で私を積極的に雇うところは、過去も現在もほぼなかったですから)。

最近日本に住む人から、久しぶりに「日本とアメリカと、どちらが生活しやすいですか」と問われた。私はしばらく答えに困った挙句、「昔は『アメリカの方が働きやすいが、日本の方が住みやすい』と答えていました。」とだけ答えた。今、この記事を読んでこれから留学していく大学生がアメリカで(あるいは別の異国で)博士課程を終わるころに、「卒業後、日本とアメリカ(あるいはその異国)、どちらで働き、暮らしていくことに魅力を感じますか」と問われたとしよう。この答えに日本の将来がかかっていると思う。学生がその答えに迷うためには、我々日本人一人ひとり、これから大変な努力がいると思う。私が日本の大学生に伝えたいことがあるとすれば、正しいと思う行動を貫き、勇気を持って真実を伝え、その困難に立ち向い、乗り越えられるだけの実力をつけてもらいたいと思う。今日ますます、忖度することなくこれを全うするためには、職業人としての真の実力とたゆまぬ努力が必要なことを痛感する。

鈴木 祟夫
スタンフォード大学航空宇宙工学専攻博士課程修了
ボーイング社民間航空機部門

筆者の専門は高性能計算と深層学習の理論的側面で、2020年9月から、カナダ東部のモントリオール大学及び、世界有数の深層学習理論の研究グループである Mila の共同PhD プログラムに進学した。本稿では、日本で修士を修了した後、海外のComputer ScienceのPhDへの進学を検討されている方に対して、海外PhD進学に関する話題を提供させていただきたいと思う。

海外PhDへの進学を目指した経緯

筆者が海外のPhDに興味を持ったのは、東京工業大学での研究室配属から師事していた横田理央准教授の影響が非常に大きい。横田准教授は海外でのポスドクや研究職を歴任されており、筆者が学部4年時に横田准教授が専門とされている高性能計算のトップ会議のプログラムに参加した際の印象が強烈に残っている。研究に触れ始めた時期に、国際的に活躍する指導教官の姿を間近で見ることができたのは幸運であった。

もう一人、私に大きな影響を与えた研究者が鈴村豊太郎研究員である。筆者は高校在学時の卒論執筆を通して、大規模な実社会データを高速にリアルタイム処理するという鈴村研究員の研究分野に興味を持ち、東京工業大学を目指した。実際、研究室配属前に鈴村研究員が海外に移動されてしまい、直接指導を受けることは叶わなかったが、その後、海外で活躍をされている鈴村研究員の姿は眩しかった。

その他に、国際的なプログラミング系コンペへの参加や、海外大の短期プログラムなどで、海外の有名大学の同年代の実力とレベルの高さに圧倒されるとともに、海外で修行することも視野にいれはじめ、修士2年時に参加した「突き抜ける人財ゼミ」で海外のPhD進学を決意した、2018年9月のことである。

出願準備

前述の通り、筆者は修士課程までを国内で修了していたため、国内の修士号が認められるカナダ・イギリス・スイスの大学院への進学を目指した。出願のための準備で得た学びは、何事も前々から準備することである。私は修士課程2年の9月に受験を決意したため、国内で余分に1年を過ごすこととなった。決意した後に修士論文執筆などの合間に、自身の興味のある分野の研究グループを調査し、数人の教授にメールでコンタクトを取った。

筆者は学部・修士・修士課程時のIBM東京基礎研究所のインターンシップに際して高性能計算の側面から機械学習技術を高速化することに焦点を当てた研究を行った後、修士二年統計的学習や深層学習の理論よりの側面からの高速化に自身の関心が遷移したこともあり、理化学研究所AIPでのインターンに応募した。このような研究興味の変遷があったため、進学候補の研究室は筆者にとって新しい分野であり、メールを書くまでにかなりの時間を要した。それまでの筆者の研究興味やそれらを裏付ける業績、また志望先の研究室に自身がどのように貢献できるのかをメールで送った後、国際学会や文部科学省のプログラムを利用して実際に会う約束を取り付け、実際に何名かと面接することができた。このとき、幸いなことに外部からの奨学金を確保出ていたことがイギリスの大学院への応募に関してはとても有利に働いたように思う。2019年3月、最初のメールを送るまでに、進学候補の選定、CVの作成、研究計画を練る必要があった。

2019年12月、バンクーバーで行われていた、機械学習分野のトップ会議であるNeurIPS参加中に最初の出願を行った。出願までにIELTSでスコアをクリアし、東工大の指導教員、IBM東京基礎研究所・理化学研究所AIPでの指導教員に推薦状を依頼した。また、Computer Science特有の課題として、GithubのRepositoryの提出を求めるプログラムも存在した。出願準備の詳細については、下記のサイトにスライドで公開している。

合否とその理由考察

最初の出願後の2020年1月、早速第一志望のモントリオール大学とMilaのPhDプログラムの一次選考結果がメールで伝えられ、二次選考としてオンライン面接を受けた。面接前はかなり念入りに準備をし、面接のためのスライドを作り込んだ。2020年2月には、あっさり合格内定をいただけ、面接時に他の大学院も受験を考えていることを伝えていたので、4年間の学費免除と、米国のトップ大学院と遜色ない額のFellowshipのオファーを頂いた。

この後に、Oxford, ICL, UCL, Edinburgh, EPFLなどの出願を検討して準備していたが、最終的に出願を行わなかった。この時点で、私の海外PhD受験は終了した。

実は、モントリオール大と同時期にUBCのPhDにも出願していたが、出願した際に提出したIELTSのスコアが、一部足りていないと指摘され、2020年7月、出願から半年以上経過して不合格の通知が届いた。最終的な、筆者の受験結果は1勝1敗であった。

モントリオール大学は日本では知名度はなく、大学全体としてはその後の受験予定だった大学よりは高いランクではないものの、深層学習分野においては、昨年のチューリング賞を受賞されたYoshua Bengio先生の作った世界有数の深層学習理論の研究グループである Milaが同分野のメッカとなっており、筆者の興味分野で活躍する研究者が世界で最も集まっている研究拠点であったことから、自身の今後のキャリアを考えた結果、モントリオール大と MilaへのPhD進学を決意した。

最後に

今後、Computer Scienceの海外PhD進学を志す方に助言できることがあるとすれば、使えるリソースを最大限活用し、早期に出願に向けて着々と準備を行うということである。昨今の情報系、特に機械学習系の競争はとても厳しく、優秀な世界各国のMScの学生が十分な業績をもって出願してくる。このとき、準備が不十分な場合、合格する可能性は極めて低い。しかしながら、準備にはかなりの時間と労力を要するため、同士を見つけモチベーションを保ちつつ切磋琢磨することが、海外PhD進学には必要であると感じた。最後に、本稿が、これから海外PhDを目指す方の参考の一事例となることを願うとともに、執筆する機会をくださった米国大学院学生会の皆様、私の東工大での7年間を支えてくれた皆様への感謝の意を表したい。

長沼大樹(ナガヌマ ヒロキ)
モントリオール大学・モントリオール学習アルゴリズム研究所
Université de Montréal, Mila (Montreal Institute for Learning Algorithms)

私は東京工業大学の生命工学科を2016年に卒業後、米国のカリフォルニア大学デービス校(通称UC Davis)に進学し、食品科学の修士課程を2018年に修了しました。現在は、サントリーホールディングスに入社し、日本で健康食品の商品化業務に携わっています。本稿では、留学中の企業への就職活動についてお話ししたいと思います。海外大学院への留学と聞くと、PhDからアカデミアの道に進むイメージがあるとは思いますが、企業への就職も一つの選択肢として考えられる際にお役に立てれば幸いです。

日本企業vs︎米国企業

職活動を始めるにあたり、日本企業と米国企業どちらに就職するか悩まれるかもしれません。両者で選考方法や採用で重視するポイントが大きく異なりますので、ここではそれぞれの特徴について触れたいと思います。アメリカの就活にはまず、日本のような解禁日が設けられていません。日本では総合職や一般職という大枠で新卒生を一斉採用し、部署に割り振りますが、アメリカではポジションごとに必要なスキルを持った即戦力を採用するため、スポットが空けば随時募集をします。また、日本は研修を通して新入社員育成に力を入れていますが、アメリカは入社後すぐ即戦力として働くことが求められます。この方針の違いは選考方法にも現れており、人間性(ポテンシャル)重視の日本は対人で時間をかけて採用するのに対し、経験や能力重視のアメリカでは書類選考〜面接まで全てオンラインかつ短期間で選考することがあります。また、アメリカはコネがものをいうため、そもそも求人情報が公開されていないケースも多いです。企業はまず大学院の共同研究先や教授との繋がりで人材を探し、コネで採用できない場合に一般募集をかける流れが一般的なようです。研究職を希望する方にとっては、必要な学位も両国で違ってきます。日本では修士卒以上で研究職へ応募が可能ですが、アメリカでは博士号が必要とされ、修士卒で就ける職種は学部卒と大きく変わらないこともあります。このように、日本とアメリカでは選考の進め方や重視されるポイント、研究職への応募条件が異なっていることがわかります。私は日本企業の新人育成に力を入れている点、修士卒で研究に携われる点が自分に合っていると思い、日本企業への就職を選択しました。

ボストンキャリアフォーラム(BCF)

日本人留学生の就職活動の場として、BCFをご存知の方は多いと思います。毎年11月に3日間開催され、日系・外資系合わせて200社以上が参加する世界最大規模の就活フェアです。私は修士2年目の秋に参加し、日本企業の選考を受けました。ここではBCF選考の流れについて、体験談を交えてお話したいと思います。

1) 準備留学先では就活中の日本人が周りにいなかったので、BCFの選考方法や対策といった基本情報を調べることから就活がスタートしました。前述の情報収集を9月に行い、10月上旬にESやレジュメの作成、10月中旬から事前応募を受付けている企業にエントリーを始めました。ES・レジュメについては、何人かに添削頂くことを強くお勧めします。また、予想以上に書類作成に時間がかかるので、今後参加される方は、少し余裕を持ってBCF3〜4ヶ月前から準備に取り掛かると良いと思います。

2) エントリー事前応募にエントリー後、いよいよ選考が始まりました。書類選考を通過すると、応募から1週間程で結果が送られてくるので、Webテストの受験やSkypeでの一次面接、BCF当日の面接予約に進みました。会場での面接枠は早い者順で埋まっていくため、期限前に応募を締切る場合があり、注意が必要です。志望度の高い企業は応募受付開始後、なるべく早くエントリーするのが良いと感じました。また、事前応募の他に、履歴書を当日企業ブースで提出する方法(通称Walk-in)もあるので、志望度に合わせて事前応募とWalk-inを使い分けました。Webテストに関しては、日本での選考ほど重視はされていませんでした。足切りの位置付けではなく、形式的にやっている企業が多かったです。対策は例題を解くなど最低限にとどめ、その分の時間を面接練習などに充てる方が有効だと感じました。

3) BCF当日とその後BCF当日は、予約していた面接やWalk-in応募を行いました。面接の合間も、次の面接の準備やお礼メール作成などに追われ、一日があっという間に過ぎていきます。BCFは本選考の場であり、企業の説明会に参加する時間はあまりないのだと実感しました。BCFと言えば、企業の方とのディナーも醍醐味の一つだと思います。私も一社からBCF前日の夜、ディナーに呼んで頂き、会社の雰囲気や仕事の話などを聞くことができました。翌日に面接を控えていましたが、ディナーで面接官の方にお会いしていたお陰で、当日は落ち着いて臨むことができました。面接では、志望理由や学位留学に至った経緯、留学での苦労について聞かれました。研究職志望でしたが、自分の研究について説明を求められることは少なく、留学していること自体を評価している企業が多かったです。面接結果は遅くとも翌日中に電話やメールで連絡があり、その後12月にSkype若しくは日本の本社で最終面接を受け、選考を終えました。最終的に、エントリーした8社のうち2社から内定を頂く事ができました。

Fig 2. 会場内の様

BCF以外の選考

BCFの他に、日本人留学生向け就活情報サイトを通して1社に10月頃エントリーしました。サイトに掲載している企業についてはES添削や模擬面接も無料で提供しており、BCF前の良い練習になりました。また、掲載企業の中には海外大学を直接訪問して説明会を開催して下さる所もあり、じっくりお話を聞ける利点もありました。説明会前にESを提出すると、Skypeで一次面接、説明会当日に2次(最終)面接を受ける事ができ、短期間で選考を終えられます。訪問先大学は限られていますが、興味のある企業があればBCFと併せてご検討頂くと良いかもしれません。

就活を振り返って

日本での一般的な就活と比べ、かなり早いペースで選考が進んでいきました。就活にかける時間が短くて済むメリットはありますが、応募できる企業(特に研究職の場合)が限られることや、企業の説明会に参加する機会が少ないのは大きなデメリットだったと感じています。OB訪問も難しいため、面接官を通しての会社のイメージしか持てず、企業を選ぶ判断材料が限られている点に苦労しました。そこで就職先を決めるにあたっては、内定を頂いた企業の人事の方にお願いし、冬の一時帰国に合わせて社員面談をセッティングして頂きました。面談では社風や社員の方の雰囲気などを知る事ができ、就職先選びの決め手になりました。

昨今のコロナの影響で、留学中の日常生活だけでなく就職活動のあり方も大きく変わっていることと思います。オンライン化が進むことで、今後はエリアの制限を受けずに選考を受けやすくなるかもしれません。私が受けた当時と状況は違ってしまいますが、就活を検討される方にとって、本稿が少しでもお役に立てれば幸いです。

村瀬 彩華(ムラセ アヤカ)
カリフォルニア大学デービス校 食品科学科 修士課程修了
University of California, Davis, Department of Food Science and Technology

この記事では、英国と日本の両大学院での修士号取得を目指されている森江建斗さんの「ダブル・マスター」についての情報をお届けしています。前号「出願までの意思決定」に続き、今回は出願プロセスについて紹介します。

出願プロセスとタイムライン

 出願の過程については、述べたとおりLSEしか出願をしていないので、LSEの場合(しかもDepartment of International Relations)しか記すことができないので大変恐縮だが、あくまで一人の体験として出願のタイムラインの概要を記述しておく。

1)出願時期

 英国の出願は、一般的には、rolling application systemといって、アプリケーション・フォームが開設され次第、アプリケーションが可能で、出願が提出された順番に審査にかけられる。1月の中旬から下旬に第一回の結果発表があり、それより前に(実際には審査される時間を含めて十分前に)提出された出願の中から合格/保留/不合格が発表され、その後随時コースの定員が埋められていく(詳しい出願の情報は、各大学やコースのHPや該当する先輩方のブログ記事などを確認していただきたい)。英国ではオックスブリッジやロンドン大学のような人気の大学では、学部にもよるが、4月には多くのコースの定員が埋まり切るらしい。私の学部では、12月上旬にはそのアプリケーション・フォームが開設されるため、12月中旬(10~15日あたり)を目処に準備を進めた。12月15日までとしているのはあくまでも目安だが、英国の大学の試験官がクリスマス休暇を取る前に出願を大学に送り込むというイメージだ。

2) 出願書類と各スケジュール

 まず簡単に必要な出願書類について、言及し、それぞれの特性と準備のための各スケジュールを論じる。英国の修士課程への出願に必要な書類は一般的に、大学の成績、TOEFLやIELTSの英語スコア、推薦状、志望動機書(Statement of Purpose: 以下SoP)、CV(履歴書)である。多くの先輩方が指摘するようにSoPが最も重要で、次に推薦状、そしてその他の書類となる。従って、重要度の高いものから順番に論じていく。

i. 志望動機書(SoP)

 LSEの私が出願した学部では、1,500 WordかつA4で2ページ以内という制限があった。この字数制限で1,400 word以上書き、フォント12で通常の余白の設定の場合、上手くA42ページで収まらないことも多いので、フォントや余白の調整といったアウトラインから工夫を行った(フォントは10.5以上が目安だろう)。こうした工夫は、LSEを含め英国の大学院へと進学をされた先輩方のSoPを見せてもらいながら学んだ。次に内容についてだが、具体的かつ個別的であることが求められる。具体的な書き方について細かく書くことは紙面の都合で難しいが、「なぜあなたがその大学のコースで学びたいのか」、「なぜコースのトピックに関心があるのか」、そして「仮に希望のコースで学ぶことになったとして、どのように修士課程の間過ごすのか」という問いを終始意識しながら、試験官に試験管に出願者が有意義に修士課程を過ごせそうだと具体的に想像させることができれば、良いSoPということになる。

 私のスケジュール感について言えば、下書きとなるような文章は箇条書き程度にまとめて9月下旬頃にはつくり、推薦状を書いてくださる先生にも送っておいた。それは、推薦状を書いてもらう際に、参考になると考えたためで、またそれがSoPを書く上で適度なペースメーカーとなった。10月下旬までにはLSEのための自己ストーリを用意し、専門的な研究内容や大学院で問いたい問いや手法については、卒業論文の研究を進めながら深化させた。こうした背景には、2年間の米国の修士課程とは異なり、英国の1年の修士課程は、より具体的な研究テーマや処理可能な問いの大きさが求められるというアドバイスを受けたものだ。

 そして11月1ヶ月を使って、1,500 wordsのSoPを推敲に推敲を重ねた。細かな変更を含めておそらく50回ほど推敲を行ったが、大まかに4つのプロセスを経て、SoPに磨きをかけた。①英会話レッスンを利用した添削(少し禁じ手かもしれないが、IELTSのスピーキングで仲良くなった講師の先生に簡単な文法や語法のミスを確認してもらった)、②英国の大学院に進学した先輩方からの大まかな全体構想や論理構造についてのアドバイス、③ネイティブの友人によるより細かな文法ミスや単語/表現のニュアンスのチェック、④大学の教授や推薦状を書いて頂く先生によるアカデミアの人間からの客観的な最終のフィードバックという順番で、お世話になった。私の場合は、本当に恵まれすぎていたと振り返り感じる。添削サービスなどもあるので、もし金銭的に余裕があれば、利用してもいいだろう。

ii. 推薦状

 一般的には2通、多いところ(例えばオックスブリッジ)で3通まで提出が可能である。よく言われるように、推薦を頂く先生が希望する大学のOBOGや教授職、もしくは有名大学の教授だといいとされるが、実際にはそうした「知名度」や「地位」にも増して、出願者のことを知っているかがより重要とされる(もちろん前者の性質が後者の前提に加えて伴うと「強い」推薦状となるのは間違いないが)。「出願者を知っている」の定義としては、一学期以上のセミナーなどの少人数ゼミの受講や指導教員という立場が、最も説得性が高いと考えられ、従って、少なくとも1通はそうした先生から推薦をもらえるようにするといいだろう(実務よりの修士課程、たとえばMBAなどであれば、指導教官よりも職場の上司の方がいいなどの例外はもちろんあるが)。

 推薦状を書いて頂くにあたって、私が重要だと考えたことは、①自身の専門性の有無や程度を評価してもらうこと、②英語の運用力を評価してもらうこと、③人柄を評価してもらうこと、であり、①と③は多くの場合指導教員やゼミの先生が評価をする立場にあるだろう。一方で、②の評価を公平に下してもらうためにはどうすればよいかと考え、2人目の推薦状執筆者を探した。候補としては、(a)オックスフォード大学のサマースクールの先生、(b)オランダの留学先の先生、(c)4年生後期に受講していた英語授業の先生(京都にあるスタンフォード・センターというスタンフォード大学の海外機関)の3名で、そのなかで直近の自分を最も知り、また直接お願いしやすい状況にあるとし(c)の先生にお願いした。

 推薦状をお願いするタイミングとしては、余裕をもって出願から1ヶ月から1ヶ月半以上前にお願いすることが重要だ。またその際にはSoPの下書きやCVなど同封することで、出願者の進学の意志やモチベーション、能力などについて、アピールすることも重要だろう(もちろん、それが推薦状に盛り込まれるかは定かではないが)。

iii. 大学の成績、TOEFLやIELTSの英語スコア

 これらの書類で規定のスコアや成績を満たすことは、英国の受験において最低限必要なことではあるが、合格のための重要条件ではない(例えば英語力については、Conditional Offerという形で留学開始までに必要な英語スコアを取り直すかプレ・マスターコースというアカデミック・イングリッシュ用のコースを留学前の夏休みの約1ヶ月履修することなどを合格条件とする場合もある)。大学の成績については、ロンドン大学系列では一般的にはGPA3.6/4.0が基準として求められ、オックスフォードではGPA3.6以上が応募者の多数派になるという(ただし例外もしばしば聞くのであくまで目安であろう)。海外大学院への進学に関心のある読者の方は、学部時代からの成績に気をつけておくべきだろう(また社会人で海外修士に挑戦される方が学部時代のGPAでトップ校への出願を躊躇されるという話をしばしば聞くが、そうしたことも踏まえて、学部時代からの準備が大切かもしれない)。私がGPAや成績について悩んだことは、オランダ留学時代に異なる専門分野の授業を履修し、挑戦心から敢えて最終学年のゼミを受けた結果、留学時代の成績が芳しくなかったことだ。これについては、京都大学への単位変換を敢えて行わずに、京都大学での成績だけの提出を試みたが、SoPやCVに留学先を記述するとやはりそうした留学先の成績表の提出も求められたので、追加で提出した。この成績が、プラスとなったのか、マイナスとなったのかはわからないが、少なくとも交換留学に挑戦し、英語の環境でも約一年間生き残れたという証明にはなったのではないかと思う。

 英語のスコアについては、各大学のコースのアプリケーションの欄に必要スコアが記載されている。勉強法などについては、多くのブログなどの記事があるので、そちらに譲る。ただし、IELTSなどの教材は高いため、大学の図書館の利用(過去問集など)や、リスニングはYoutubeを利用、スピーキングはDMMなどのオンライン英会話を利用したとだけ、簡単に述べておく。

Fig1. LSEのOld Buildingの入り口にて

奨学金と京都大学大学院への進学の決意

 実用的な知識よりも、より根本的に社会のあり方を問えるような研究を行いたいという思いもあり、4年生の秋の時期には変な意地があったのであろうか、自分の研究を非常に「わかりにくく」説明して、奨学金へ応募したことで、多くの奨学金の獲得を逃した。LSEの合格を受け取った4年生の1月中旬(学部卒業まであと2ヶ月)でも奨学金は獲得できておらず、少し気がかりだった。その頃には、卒業論文を書き終え、研究のリテラシーが向上したのだろうか、その頃から、京都大学を含めた日本の大学で行われている研究が、面白いと再度認識できるようになった(それまではなぜ面白いのか、アカデミックな意味で理解できていなかったのだ)。そこで、京大の大学院にまずは進学して、LSEの留学までの期間を過ごそうと決意し、2月に無事大学院合格を果たした。

 そして、ちょうどその頃に、「トビタテ留学JAPAN」の応募があり、自分がその出願の資格があることを知る。条件として、日本の大学に所属し、帰国後にその大学を卒業することが条件だが、奨学金がなかったこともあり、なんとか出願してみようと考えた。

「トビタテ留学JAPAN」の応募で一番ネックになったのは、どのように自分の研究と実践活動(と呼ばれる実務的な課外活動)を関連付けるのか、そしてただでさえ忙しいと噂のLSEでの修士課程でどのようにして実践活動のための時間を捻出できるのかという問題だった(実際正規修士課程で同奨学金を利用されている方の多くは「理系」の方で、ラボでのインターンを実務活動に当てている印象があった)。たとえ計画書の上では上手くいきそうでも、現実としてどの程度ロンドンで実行できるかは不安だったからだ。しかしそれでもなんとか同奨学金に採用され、LSE留学の一部の資金を賄うことができた(残りは、家族からの支援)。そして英国留学では、研究+アルファを達成するための準備がはじまった。次回は、LSE留学時代とその後について書く。

Fig2. フロイト博物館前にて

次号へつづく。。。

森江建斗 (モリエ ケント)
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE)
MSc International Relations Theory
京都大学 人間環境学研究科修士課程

はじめに

 ニュースレターの読者の皆様、はじめまして。2018年9月から2019年9月までの約1年間、英国のLondon School of Economics and Political Science (以下LSE)にて、MSc International Relations Theoryという修士課程に在籍していました。そして、現在は京都大学人間環境学研究科修士課程にて2つ目の修士号の獲得を目指しています。このニュースレターでは、米国への大学院(修士・博士課程)進学をされた方の経験談が多いとは思いますが、いわゆる「文系」とされる分野でも、英国や日本での修士号を組み合わせて、研究の計画を立ててみることも可能なのだという参考になれば幸いです。また、こうした少し変わった経歴を踏むことになった経緯や意思決定の背景についても、簡単に述べられればと思います。

 本記事は、あくまで個人的な価値観・考え方を反映した記事です。また後から振り返り論理性や一貫性を「作り」きれいに見せるよりも、各時期に何を感じながら(多くは悩みながら)どのように意思決定を下していったのかが伝わるように少し叙述的に書きました。その点を踏まえて出願準備や海外留学中の合間にご笑覧頂ければ幸いです。

海外修士課程への挑戦を決まるまで

 英国の大学院進学に関心を抱いたのは、早く見積もれば大学2年生のオックスフォード大学でのサマースクールへの参加し、はじめて海外の教授から自らの専門分野を学んだことがきっかけであった。最終的に出願を決意したのは、4年生の春(4~5月)である。その頃私は就職するのか、それとも内定を断るのかという岐路に立たされていた。当時、オランダのユトレヒト大学に交換留学していたが、4月のロンドンキャリアフォーラムで運良く内定を頂き、就職か進学かという選択の淵に立つことになった。多方面で先輩・先生方に相談しながら、自分の進路について、1ヶ月(内定受諾か否かの返事の期限)悩んだ末に、大学院の進学を決め、今回の内定は断ることにした。

就職か海外大学院進学か

 就職か海外大学進学かを選ぶ際、決め手になった観点について、簡単に記しておきたい。最も大きかったのは、いま関心のあるテーマを深めたいという欲求であった。そしてせっかく修士課程に進むのなら、その分野で最先端の国で学んでみたいと、オックスフォード時代やユトレヒト留学を思い返しながら考えた(この時点では国内大学院への進学はあまり考えていなかったが、それは前述した海外での経験から、専門分野を海外で学んでみたいという気持ちが強かったためである)。多くの人が悩むであろう点は、一旦社会人になってから(海外)大学院に進学するか、そのまま学部卒業の後に(海外)大学院に進学するかであろう。この問いに対して、私は、前者のキャリアは可能なものの、それは実務的なキャリア(例えばビジネスにおけるキャリアアップや国際機関での勤務)を踏まえた内容の海外修士号の取得に限られがちではないかという考えを持つに至った。今現状で有している学術的な問いや視点を大切にしつつそれをそのまま深めていきたい場合、実際に社会経験を積み実務的な専門性を身に着けた上で学び直すという選択肢よりも、学部卒業後に直接大学院進学するほうが、当時の自分には魅力的に映ったのだ。

留学先の国選び

 次に、どこの国のどの大学に出願するかの判断軸について書きたい。まず、修士課程の制度は国によって大きく異なる。例えば、私の分野である国際関係学では、米国や大陸ヨーロッパ、アジアの大学の多くは2年間の修士課程となる一方、英国やオランダは1年の修士課程が主流で2年の修士課程は少数である。(2年のものの多くはResearch Masterで、1年制のコースワークに加え、米国で受けるとされるメソドロジー(量的分析と質的分析など)を受講する他、2年でゆっくりと修士論文を計画するもので、多くの場合はPhDへ進むための予備期間と見なされる)。その他にも、2大学での修士課程を2年(各大学1年)で完了させるDouble Degree Programも存在する。Double Degree Programは私が進学したLSEにも用意されていたためそちらにも大変関心があった。

 どの程度の海外大学院進学者の方々がどれほど広範な視野を以て論理的に意思決定を下すのかわからないが、私の場合は、それほど包括的にあらゆる選択肢を検討したわけではなかった。例えば、米国に関しては、出願のための準備(試験なども含む)が多く、卒業論文にも注力したかった自分にとって魅力的に映らなかった。 

 そうした消極的な背景に加えて、同じゼミの先輩が2年連続でLSEへ進学していたこと、また夏から本格的にはじめた卒業論文の研究が英国で盛んであることに気付いたことで、私の留学候補先は次第に英国に決まっていった。また、英国は米国と比べて必要な出願資料・要件が少なく、比較的出願に労力を割かれずに済むということも、その決断の後押しをした。

Fig1. バスの2階席より、通学風景

大学選びとコース選び

 そうして夏頃には出願を英国に絞り、オランダ留学より帰国した。次にどの大学へ出願するのかという問題に直面したが、ここは比較的スムーズに決定した。結論から言えば実際に出願したのはLSEのみで、他に「滑り止め」は何も受けなかった。それは、おそらく前述のオックスフォード大学のサマースクールの教授が修士課程でLSEを出ていたこと、身近な先輩・先生方からの影響、そして卒業論文で頻繁に引用していたGeorge Lawson先生やBarry Buzan先生(現在は名誉教授で教鞭は取っていない)がLSEで教鞭を取っていたことなどが、絡み合って、LSEしかないと思っていたのだ。LSEには、私の求めている知的土壌が存在したのだ。LSEに行けなければ英国留学しないと、半ば頑固に決めつけていた節があった。

 大学選びがスムーズに進んだ一方で、どのコースに出願するのかということに関しては大変悩んだ。悩み方としては、①やはり1年は修士課程として短いのではないか、(そこから派生して)②2年間のReserach MasterやDouble Degree Programに応募するのか、それとも③様子を見る形で一旦1年間のTaught Master(1年間でコースワークが中心となるがコース終了後には修論執筆もする「盛り沢山な」コース。英国では一般的)に出願するべきか、という悩みであった。一般に英国の1年間のTaught Masterに出願する場合、修士課程終了後にすぐに就職を目指すのであれば早い人であれば修士課程に入ったばかりの11月のボストンキャリアフォーラムを、遅い人でも3月のロンドンキャリアフォーラムを目指すと聞いていた。そもそも卒業後にすぐ就職するのかも当時決めておらず、自分の研究を深めたいのに就職活動に時間取られては意味がないだろうという贅沢な意地によって、英国の修士課程1年、単位取得によるTaught Masterの選択肢は4年生の秋頃には魅力的には映っていなかった。一方で、学びたいものがLSEにあることは明確であったものの、2年間海外で大学院生活を続けることの資金的な負担に関する不安もあった。

 結局、4年生の秋の段階では、LSEの1年コースとLSEが関係するDouble Degreeを比較検討し、もっとも求めている時間とはLSEでの学びであり、それを最も直接的に得られるのは「LSEでの1年ではないか」という結論に至り、シンプルにLSEの1年間のTaught Masterを選択し、その後の計画はまったく考えずにInternational RelationsとInternational Relations Theoryという2つのコースに出願した。2年間のResearch Masterの選択肢は、1年の間にシラバスや教授との繋がりを作れれば、満足するのではないかという考えに帰着した。その結論を導くに当たり、実際に6つほどの悩んでいた候補のコースを書き出し、卒業までの時間割を組み、可能であればシラバスを入手し、徹底的に具体性を引き出した上で結論をくだした。こうして行き当たりばったりな出願先の選定は4年生の10月下旬には決定し、あえて言うなら選択肢③へと落ち着いたのだ。

Fig2. LSE図書館の内部

次号、英国修士課程Taught Masterと日本の大学院の自家製「ダブル・マスター」ができるまで②(出願プロセス)につづく。。。

森江建斗 (モリエ ケント)
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) MSc International Relations Theory
京都大学 人間環境学研究科修士課程