アメリカで働くことになったエンジニアから日本の大学生への質問

本記事は、今年の夏季留学説明会の京都大学会場に登壇してくださった、鈴木崇夫さんに執筆していただきました。学位留学経験者なら誰もが一度は考える、「留学後現地に残るか、日本に帰国するか」という問いについて、鈴木さんの経験をふまえて印象深くまとめていただきました。ぜひ最後まで読んでみてください!

高校生・大学生向けの講演で、こんな質問をしたことがある。「次の元メジャーリーガの共通点は何でしょう:野茂英雄、鈴木イチロー、長谷川滋利、松井秀喜、大塚昌則、斎藤隆、黒田博樹、上原浩治、松坂大輔。」正解は後述するとして、一年だけの留学で日本に帰るつもりが、通算で二十年以上もアメリカで生活して現在に至ってしまった私の経緯をお話したい。

京都大学の学部(航空工学科)在学中に、留学の準備をしていた時は、「航空宇宙工学の最先端を行くアメリカの大学ではどんな学生が、何をどんなふうに学んでいるのだろうか」との好奇心がその動機だったと記憶している(その答えは、基礎から応用まで根本原理をしっかり説明するという、良い意味で思っていたよりシンプルなスタイルだった)。一方で、日本の研究室では、朝から晩までオフィスにいる大学院生の先輩を見ながら、「博士課程は自分には勤まらないな」と確信したものである。そこで、一年だけで修士号が取れるStanford University の航空宇宙工学科に留学して(そもそも、TOEFL の点がはるかに足りない私には、夏期英語集中コースから入学する条件付きで、唯一入学を許可した大学だったので)、当初はすぐ日本に帰って就職する予定だった。

周りの環境というのは恐ろしいものである。Stanford University などでは、大学院一年生の半分以上が博士進学を目指している(Stanford 大学の航空宇宙工学科は、出願時に博士課程進学を希望したかどうかにかかわらず、修士号を取得後、希望者は博士課程に進学できる)。私自身は純粋に、日本と違い講義の終了後も学生に対し、熱心に解説する時間を惜しまない教授に毎日質問するが楽しかったのを覚えている。特に当時のベテラン教授陣の学問に対する懐の深さには驚嘆した。幸い、アメリカの大学にいる人は、学生・教員・職員を問わず、片言でしか英語を喋れない人に比較的寛容であるように思う。TOEFL の試験結果などはおそらくクラスで最下位であった私の議論にも、教授・学生とも対等に付き合ってくれた(さらに罪深いことに、そんな私が有償のTeaching/course assistance を三期も務めてさせていただいた)。

そうこうしているうちに、周りも自分も博士課程に進学するつもりになっていた。アメリカの大学院生に対する手厚い経済的サポートなどは、他の方の記述を参考にして頂けたらと思うが、キャンパスライフの面でも、博士課程になっても他学科の講義を受講し、指導教官以外の教授と自由に議論したり(それが縁で指導教官を変更することも、アメリカの大学院ではままある)、新入の外国人留学生サポートのための夏期英語講座アシスタントをしたりと、日本の大学院に比べて開放的な生活ができたので、五年間の博士課程の生活も私に勤まった。日本の研究室と比べると、アメリカの大学院の方が指導教官が直轄統治する(ポスドクや博士学生が下級生を指導するのではなく、指導教官が直接指導する)スタイルの教授が多かったことも、疑問を持ったら納得するまで議論したい私には向いていたと思う。日本でのおよそ五年間(学部四年に加えて、某大学院に約一年だけ通ったため)の学生生活と比べても、アメリカの学生生活で悩むことは少なかった。その頃には、博士号収得後、アメリカで働いてくことを疑っていなかった。

その後、現在のボーイング社での二か月のインターンに当たる仕事を経て、Caltech で三年半ほどポスドクをすることになるが、その間、多くの大学でインタビューを受けた挙句、アメリカで教員の職に就けず、その後日本に帰ることになったのは、逆に全くの想定外であった。幸い、福井大学が私を拾ってくれたので日本で教員として働くことになった。帰国した時よく、「日本とアメリカと、どちらが生活しやすいですか」と問われることがあった。この頃の私の答えは「アメリカの方が働きやすいが、日本の方が住みやすい」であった。ちなみに、福井大学に在籍中は、周りの先生方にはたいへん親切にしていただいた。ただ、キャリアの途中から日本の(昇進なり教育なりの)システムに入る場合は、初めからそのシステムで進んできた場合に比べてデメリットが大きいと思う。それから、研究や教育の本業以外の業務にかかる時間が年々増えていく日本の地方大学の現状にも大きな不安を抱くようになった。結局その後、日本で不安を抱きながら教員として残るか、教育の楽しみを捨ててアメリカにエンジニアとして戻るかの二択から後者を選択し、インターンとして働いていたころのマネージャーにボーイングの社員として戻りたい旨を伝えた。それでも、私が実際に再びアメリカに渡るときには、そもそも会社員として何年も勤まる自信はなく、「十年くらい経ったら日本に帰ってくるかな」とおぼろげに思っていたのを覚えている。それだけ、日本で暮らすことも、日本で教えることも魅力を感じていたんだと思う。

Fig1. 久しぶりに訪れたCaltech のFaculty Club “Athenaeum” にて

再びアメリカに戻り、六年ぶりにボーイング社で働き始めてから、(首になることなく!)約十三年が経過してしまった。幸い現職で、大学で行われるような基礎研究から、実際の民間航空機の開発・製造にかかわる仕事まで、幅広く担当させていただいているので、仕事で飽きることはない。私の部署は(例外的にではあるが)、半数程度、アメリカ以外の国で育ってきた社員がいるので、特に仕事レベルで外国人だからというハンデを感じたこともない(ただし、英語能力は長い目で見て仕事の評価に大きく影響を与える可能性は否定できないと思う)。そもそも永住権さえないステータスで働いていながら(永住権がない場合は、仕事上のハンデがある)、諸所の理由でその申請を遅らせてきたくらいである。アクセントのある、こなれない英単語を繋げながらも、昼食時間に同僚と社内の四方山ごとにジョークを交えて愚痴を楽しむのは、どこの国でも共通の息抜きだろう。一方で、アメリカの会社も以前より、個人主義から組織で動くことを重視するようになり、形式を重んじ、立場で物を言う人が多くなった印象である。その点では、残念ながらアメリカで働く環境はだいぶ「日本的」になった感がある。

さて、最初の質問に戻ろう。私の簡単な検索によれば答えは、「アメリカでの現役引退後も、家族をアメリカに残してきている」元メジャーリーガである。できることなら、彼らのうち何人が渡米当初からそれを計画していたのか聞いてみたい。調べていてこの結果に最初は少し驚いたが、最近は納得することが多い。これは近年、私の周りにいる日本から留学してきて、「アメリカでひとたび職に就いた」友人・知人を見渡しても、似たような傾向にある(つまり、彼らのうちで自ら日本に帰国する選択をした人はほとんどいない)。これには経済的格差(この言葉がだんだん適切になってきた気がする)も確かに影響してはいると思う。ただ、それだけが理由ではないと思う。私の場合は、現在に至るのは自らの選択というより与えられた機会によるところが大きい(そもそも日本で私を積極的に雇うところは、過去も現在もほぼなかったですから)。

最近日本に住む人から、久しぶりに「日本とアメリカと、どちらが生活しやすいですか」と問われた。私はしばらく答えに困った挙句、「昔は『アメリカの方が働きやすいが、日本の方が住みやすい』と答えていました。」とだけ答えた。今、この記事を読んでこれから留学していく大学生がアメリカで(あるいは別の異国で)博士課程を終わるころに、「卒業後、日本とアメリカ(あるいはその異国)、どちらで働き、暮らしていくことに魅力を感じますか」と問われたとしよう。この答えに日本の将来がかかっていると思う。学生がその答えに迷うためには、我々日本人一人ひとり、これから大変な努力がいると思う。私が日本の大学生に伝えたいことがあるとすれば、正しいと思う行動を貫き、勇気を持って真実を伝え、その困難に立ち向い、乗り越えられるだけの実力をつけてもらいたいと思う。今日ますます、忖度することなくこれを全うするためには、職業人としての真の実力とたゆまぬ努力が必要なことを痛感する。

鈴木 祟夫
スタンフォード大学航空宇宙工学専攻博士課程修了
ボーイング社民間航空機部門