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大学院生として海外で暮らしていると、どんなに充実した環境で自分の好きな研究をしていても気分が落ち込んでしまうことがあるのではないかと思います。私は素晴らしいメンターに恵まれ、申し分ない環境で研究に没頭させてもらってきましたが、時にニューヨークでの一人暮らしを寂しく感じたり、卒業や論文のプレッシャーから大きなストレスを感じることがあります。そんなときは身体を動かすことのほかに、読書をするようにしています。上記のような精神状態になると、私が度々手にとる「常備薬」のような本が何冊かあるので、その中から7冊を簡単に紹介させてください。

特に現在、新型コロナウイルスの蔓延を遅らせる目的で、ほとんどの研究所は閉鎖を余儀なくされていると思います。私もその一人ですが、日本国外で一人きりで生活しているとこのような状況はとても苦しいものです。もし以下の読書案内が何かの一助になればこれほど嬉しいことはありません。

1.規則正しく生活する『走ることについて語る時に、僕の語ること(村上春樹)』

村上さんは小説家であると同時に熱心なランナーでもあります。このエッセイ集は、村上さんが小説を書き続けられる力の源泉を、「走ること」と絡めながら解き明かしてくれます。私の受け取ったメッセージとしては、小説を書くという精神的に負荷のかかる仕事を継続的に行うためには、肉体的にもタフであり続けなければならず、そのためにもなるべく規則正しく健康的な生活習慣を意識的に維持するというものでした。これは博士課程を過ごす上でも非常に有益な考え方なのではないかと日々感じています。

2.誠実に働く『ペスト(カミュ)』

フランスの哲学者カミュの思想は、不条理な世界と闘うことに人間の尊厳をみる、というものです。ペストにはその思想がストレートに表現されています。ペストの大流行という絶望的な状況に、市井の人々は自分のできることを誠実に行う、という方法で立ち向かいました。この小説にはカミュの戦争体験が反映されています。自分のやるべきことを愚直に行うことがどれほど尊い行動で勇気を伴うものなのか、この物語は教えてくれます。

3.ヒューマニズムのために研究する『人間の土地(サン=テグジュペリ)』

『星の王子さま』が有名なサン=テグジュペリですが、彼は郵便飛行のパイロットでもありました。当時の郵便飛行は山脈を未発達な飛行機で越える命がけの行為で、その過酷な仕事をとおして磨かれた感性によって、サン=テグジュペリは人間の美徳に対する素晴らしい洞察を行なっています。この本では、人間は自分の外のものに対して「責任」があると語られます。それは、郵便物やそれを待つ人々、帰還を待つ家族などの小さな単位から、それらを超えて、人間が成し得る行為・勇気を示すこと、良い世界の建設に末端でもよいから加担すること、とされます。研究の目的を見失いそうになると、この本に戻ってくるようにしています。

4.踏み潰すまで進む『漱石人生論集(夏目漱石)』

この本の中の「私の個人主義」という公演録を頻繁に読み返します。この場で使う個人主義は自分勝手という意味ではなく、自分の中に揺るがない価値判断の基準を持つ、という程度に解釈できると思います。この公演録では夏目漱石が文学をする上での強い決意が語られ、何か物事に向かう際は、自分の心の中で「やりきった、踏み潰すまで進んだ」という点まで到達すべきだと説かれます。そして自らの個人主義(=個性や天職と置き換えても良いでしょう)を追求していく一方で、他人に対しても同様にそれを認められるようにならなければならない、それらはセットで考えられるべきであることが書かれています。博士課程の指針となり得るアドバイスだと思います。

5.他人の幸福を願う『グスコーブドリの伝記(宮沢賢治)』

この物語は『童話集 風の又三郎』に収められています。ブドリは妹のネリと両親と共にイーハトーヴの森の中に暮らしていましたが、冷夏による飢饉の影響で両親を亡くし、妹は連れ去られてしまいました。ブドリは生きていく為に必死で働き、その合間に本を読んで勉学に励みます。その本の中にクーボー博士の書いたものがあり、ブドリは彼に師事しその紹介で火山の仕事に従事します。そこでブドリは危険な火山の工作や肥料の空中散布などを行い人々の生活の為に尽力します。そして最後には生きては帰れない火山の仕事に赴き命を落とします。ブドリは辛い境遇においても他人を信頼し感謝します。そして科学が人々の生活を豊かにしていくことを喜び信頼します。彼の根底には純粋に他人の幸福を願う心があり、見返りを求めません。その優しくたくましい心に胸が熱くなります。宮沢賢治の物語からは他に『銀河鉄道の夜』も推薦したいと思います。この物語も他人の幸福を願う優しい物語で、幻想的な銀河鉄道の描写がとても美しいです。

6.命をかけて他国に学ぶ『天平の甍(井上靖)』

奈良時代に遣唐使として唐に渡った僧侶の物語です。僧の普照と栄叡は唐の仏教に学び、鑒真を日本に招く偉業を成します。彼らは留学生の先駆けでした。しかし、この時代の留学はまさに命を天に委ねるようなもので、まずは唐まで無事に渡れるのか、そして生きて帰国し学んだものを持ち帰ることができるのかも定かではありませんでした。そのような過酷な状況のなかでも、当時の遣唐使は外国に学び、日本の文化の発展に大きな貢献をしました。現代の留学はこの当時に比べれば随分易しいでしょうが、それでも本の中でそれぞれの遣唐使が経験する内面的葛藤や苦悩、喜びそして成長には現代の留学生にも通じるものがあるのではないかと思います。そして、私たち現代の留学生も遣唐使の時代から続く大きな人と歴史の流れの中にあると思うと力をもらえるような気がするのです。

7.心の奥に希望を見出す『Man’s Search for Meaning(邦題: 夜と霧)(Viktor E. Frankl)』

オーストリアの精神科医であったヴィクトール・フランクルは、第二次世界大戦中にナチスによってユダヤ人の強制収用にあいました。この本はヴィクトールの収容所での経験とヴィクトールの唱える「ロゴセラピー」に関してまとめられた本です。人は強制収容所のような凄惨な場所であっても、心の持ちようによって耐え忍び、物事に感動したり人を気遣ったりすることができることを証明しています。また、自分の人生や体験に意味を見出そうとする姿勢こそが、生きていく上で最も大きな糧になるといいます。この本では感動的な文章と対をなして収容所での目を覆いたくなるような実態が描かれています。現在の世界でも至る所で人種や性別による他者の排除が行われていますが、そういった間違った思想を突き詰めていくとどれほど恐ろしいことが待ち受けているのか、この本は警鐘を鳴らしています。米国の大学院では様々な背景をもつ人と出会い一緒に研究することになりますが、それは非常に価値のある経験なのだと思わされます。

上記の中から一冊でも、みなさんの心に寄り添うものを紹介できていたら嬉しいです。

山口 直哉
ニューヨーク大学 New York University, Sackler Institute of Graduate Biomedical Sciences

ボストンに移り住んで早数ヶ月、訪問の度にMITのグレート・ドームに羨望を抱いていたことも、今ではもはや懐かしい。私はスイス・バーゼルにあるFriedrich Miescher Institute for Biomedical Research (FMI)でPh.D.を取得したのち、現在ここボストンにあるBroad Instituteでポスドクとして働いている。スイスのPh.D.コース、そしてFMIは知名度がそれほど高くないため、4年前にその概要について寄稿させていただいた (かけはし2015年2月号参照)。本記事では、その後のPh.D.取得からアメリカ移住に関連して、私が学んだことをシェアしたい。

その1. キャリアプランは自分の気持ちが第一

ディフェンスに向けて動き始めたのは、Ph.D.開始から5年経過して投稿論文がアクセプトに近づいた頃である。大学・専攻によってPh.D.取得のための要件は千差万別であり、FMIには明確な基準はない。単純に、ボス(を含むthesis committee)がOKを出せば、ディフェンスを行える。極端な話、論文が一報もなくとも、ボスが納得すれば終わりである。学生を囲い込むPrincipal Investigator (PI)もいるが、私の指導教官は完全に対照的で、3年経ったあたりで「もう十分やっただろう、卒業に向けて準備してもいいよ」とGoサインを出し始めた。しかし、当時私は自らが筆頭著者となる論文を一本も持っていなかった。Ph.D.時代の論文はキャリア形成において重要だろうし、何より論文の有無はアカデミアにおいてポスドク先を探す上でキーファクターになるだろう。卒業しても行き場のないのが目に見えていた。そのため、アカデミアでポスドクとして研究を続けるために、1.論文アクセプト→2.ポスドク先確定(と並行して博論提出)→3.Ph.D.ディフェンス、という流れに固執し、のらりくらりと雇用期間を延長してもらうことになった。結局その後2年ほどかけて、この流れに沿って何とか卒業まで漕ぎつけたわけである。

その2. 信念をもって足掻くこと

私はスクリーニングに基づいたプロジェクトを行っており、面白そうなタンパク質を解析対象として見つけてはいたものの、新規性のある発見には至っていなかった。Ph.D.の初めの3年間は、あれこれと試行錯誤を繰り返しており、ネガティブデータを山のように蓄積させていた。指導教官が認めているのであるから、さっさと卒業して、新しいラボで心機一転を図るのも一つの選択肢であったかもしれない。しかし、持ち前の諦めの悪い性格もあり、自分が手をつけたプロジェクトから逃げ出す気にはなれなかった。ノーベル賞受賞者のインタビュー記事などで、「この実験こそが発見の鍵だった」などとドラマティックに語っているのを目にするたびに、自分にとって次の実験こそが運命を変えるものだと思わずにはいられなかった。現実はそんなに華やかなものではなかったが、幸運にも、淡々とプロジェクトの流れが変わっていくのを私は実際に感じることになった。指導教官が卒業のGoサインを出し始めた頃、当時新しく流行り始めたコンセプトを取り入れると、私の解析している現象に理論的根拠が与えられそうだと気づいたのである。新しいコンセプトであるため、それを示すための種々の実験系がラボには存在せず、自分ひとりで立ち上げることになった。時間のかかるプロセスではあったが、その後2年ほどの実験はポジティブデータの連続で、無事論文はアクセプトに至った。生産的なPh.D.課程であったとは決して言えないものの、自分を信じて最後まで足掻くことの重要さを学んだ。

FMI最終日にラボメンバーと。前列中央が筆者。後列中央が指導教官。

その3. 何事にも全力を尽くすこと

ポスドク先を決めるにあたってはもちろん研究テーマを第一に考慮した。ヨーロッパ文化は十分に体験した感があったため、アメリカも視野に入れた。ポスドク時代をMITで過ごした指導教官曰く、「アメリカの一流大学のビックラボに行くならば新しい経験ができるだろうが、そうでなければヨーロッパの研究水準も負けてはいないし、むしろヨーロッパの方が適切にオーガナイズされている」とのことで、ボストン、ニューヨーク、カリフォルニアの一流大学に焦点を合わせて、興味のあるラボをいくつかピックアップした。とはいっても、分野を大きく変えようとしていたため、そう簡単にアプリケーションメールに返事がもらえるとは思えなかった。そこで、ポスドク期間の詳細な研究計画を書いた、かなーり長いカバーレターを作成し、意中のPIに送付した。詳細を書けば書くほど「柔軟性のなさそうな候補者だ」と捉えられる可能性もあるため、必ずしも良い戦略であるとは言えないだろう。どんなに準備したところで、いわゆる大御所のPIの元にはアプリケーションが山のように届くため、返事すらもらえないこともよくあると聞く。そんな中、提案した研究計画が、幸運にもボスの興味と完全に一致して、トントン拍子にことが進んだのが第一志望であった現在のラボである。ポスドク先探しは、運や縁といったコントロールできない要素に左右されるプロセスであることを実感した。
バーゼル大学でのPh.D.取得のプロセスは論文が1本でも出版されていれば、それほど厳しくはない。基本的に、出版された論文をそのままResultsのセクションとして挿入し、やや詳細なIntroductionとDiscussionを付け加えれば博士論文の完成である。聞くところによると、他のヨーロッパ諸国では、出版された論文の挿入は認められず、新たにResultsを再構成しなければならない場合もあるらしい。博士論文の提出後、1ヶ月程度でディフェンスの日取りを決めることができる。ディフェンスそれ自体も、口頭発表によるプレゼンテーションと、それに続くthesis committeeとのディスカッション(※博士論文のリバイスを求められることもある)という形式で穏やかなものであった。ディフェンス当日における受け答えが評価され、ラテン・オナーズとよばれる学位に付随する称号も与えられる。その後、博士論文の最終稿を大学に提出し、晴れてPh.D.となった。

Ph.D. hatと友人たちからのFarewellプレゼント。実用的なものが多く非常にありがたい。

その4. Science is tough.

学位留学を夢見ていた頃の私は、海外の有名研究所で働けばいい論文が出る、そういう研究所のPIは上手くラボ内で指揮をとってテーマが面白くなるよう誘導するものだ、と他人任せの甘えた考えを持っていたように思える。指導教官の口癖のひとつは“Science is tough.”で、自らが口を出して学生やポスドクに結果を与えてしまうと、彼らが科学の険しさに気付くことができなくなると繰り返し言っていた。研究分野が細分化され、求められる知識・技術が多様化されてきている今、1人で研究を行うのは非常に困難であり、適切な共同研究が求められるのは言うまでもない。その一方で、科学者は結局のところ孤独であり、自分の学説を打ち立てるには自分のみが頼りであるということを身をもって学んだ。Ph.D.課程に、こういった教育を受けられたことは私の研究者人生にとって大きな財産であり、指導教官に深く感謝したい。指導教官曰く、研究者として生きていくのに大切なのは頭の良さ、勤勉さ、そして運(!!!)の3つであるという。国も分野も変えての新しい挑戦は始まったばかりである。気持ちを新たにサイエンスを楽しんでいきたい。

齋藤諒(さいとうまこと)
Broad Institute of MIT and Harvard (Feng Zhang lab)
中島記念国際交流財団・元奨学生