連載(1): TOEFL23点から修士課程に合格するまでの道

私は、アメリカのペンシルベニア州立大学(アルトゥーナ校)でスポーツ心理学、研究方法論、健康科学を教え、研究活動を行う教員である(2018年8月〜現在)。教員になる7年前の2011年6月から留学した。驚かれるかもしれないが、留学半年前のTOEFLは120点満点中23点だった。そこから留学し、約1年後(2012年8月)にスポーツ心理学の修士課程に入学。卒業時には全大学院生の500人中で最優秀学生として修士号を取得した(2014年)。男女テニス部の総監督など1年間就職した後、博士号を取得(2018年)し、現在に至る。自分は全く英語が出来ないところから、なんとか留学時の目標/夢の「博士号取得して大学教員」を叶える事が出来た。

今回の記事では、留学を決めた2010月11月から2012月5月の修士課程に合格するまでの道をお伝えしたい。また次号、「修士、博士で学び、その経験を生かし新たなステージへ」では、修士課程から現在までをお伝えする。この記事から、「英語力0からでも、こんなことをしている人がいる」と知っていただき、アメリカ留学は誰にでも可能であると、留学したいと思っている人を1人でも勇気づける事が出来れば、これ程嬉しいことはない。私のYouTubeチャンネル「イワツキ大学」でも留学に関する色々な情報を発信しているので是非、見て頂きたい。

留学を決めるまでのストーリー

多くの優れた学生と違い、自分は勉強に関してはド素人であった。唯一、誇れるのは大学4年生まで打ち込んだテニスの経験だろう。テニスの特待推薦で高校に入学。スポーツクラスに在籍した。基本的には、学業のレベルが低い運動好きが集まり、部活に励む為のクラスとお伝えしてもよいだろう。インターハイ団体ベスト4・ダブルス高校ランキング10位に入賞し、テニス推薦で日本大学に進学。一般にいう「受験」などした事がなかった。大学も学業の成績(GPA)も、2.0とさっぱりで、教員免許だけ取得して卒業した。総じて勉強にはあまり縁がなかったのだ。だが、高校教員になる為に、大学院でしっかり勉強しようと考え、日本大学大学院に進学した。ここでの勉強は頑張ったが、英語が出来ない事には変わりなかった。高校教員になるために入学したのだが、この頃から、高校ではなく大学の教員になりたい、また英語を伸ばし、将来の可能性も広げたいと思うようになった。私が様々描ける夢の中から無謀にも、(1)アメリカに留学して、(2)英語を伸ばし、(3)修士号、(4)博士号、(5)大学教員を選んだのが2010年の12月だった。一念発起し、指導教官に進めて頂いた大学へ書類を出す準備に取り掛かった。まず、2ページの履歴書を作り、エッセイではなぜスポーツ心理学を勉強したいか、英語は苦手だがすでに研究の経験があり、論文も2本掲載されてると自己アピールをした。そして、英語の成績証明書と3人からの推薦書を集めて、急いで応募した。既に専門分野の知識を少し学んでいた、研究の実績があった、そして修士号を持っていたことから、英語が伸びたらという条件付きで「合格」をもらった。

英語学校に行く選択肢しかなかった(2011年6月〜12月)

この時点であと留学に必要なのは英語だけだった訳だが、2010年12月時点でTOEFLが23点。2011年6月に留学するまでの半年間、日本で英語学校に通い必死に英語を勉強した。そこでは語学力別に初球(1~3)、中級(4~6)に上級(7~9)に振り分けられ、私は、当初初級のレベル3に振り分けられた。

ここでは特別な勉強をするわけではない。例えば、金曜日は「週末は何をしますか?」などの日常会話をする。英語学校には、気晴らしに少し英語を学ぶために来る学生もいる。彼らは楽しそうにしていた。私も英語学校が私は楽しくなかったとは伝えない。非常に楽しい経験をさせて頂いた。しかし私の留学の目的は博士号取得であった為、「こんなことで自分は修士課程に辿り着けるのであろうか?」、「博士課程は大丈夫だろうか?」とひどく焦った。博士課程、修士課程などと比較しても、自分が1番焦ったのがこの頃である。とにかく自分の行き先が見えなかったためだ。

焦りを振り払おうと、とにかく日本語を使うのを避け、生活の全てで英語を使い、日本人とも英語で話した。英語学校が終わってからも毎日英語を聞き、出来るだけ色々人と話し、ひたすらに勉強した。将来のために、日本の修士過程の研究を英語で書く作業も並行して進めた。イワツキ大学(YouTube)でも私は、英語学校の場合は、「勝負は3時以降」とお伝えしている。それは多くの英語学校の授業が3時頃には終わり、そのあとが自由時間だからだ。そこでどれだけ英語に触れる事が出来るかが、英語学校で英語を伸ばす鍵になる。残念ながら半年で英語が大学院に入学出来る点数に届くわけもない(このとき受けたTOEFLは68点で修士課程入学には80点必要だった)、とはいえ努力がみのり、2011年12月には英語が上級のレベル7まで届いた為、2012年1月からアメリカの大学で聴講生として大学の授業を受ける事が出来るようになった。

聴講生として大学の授業を受けた1学期間(2012年1月〜5月)

アメリカでの聴講生としての日々はさらに毎日英語との戦いだった。大学から与えられた正式な大学院入学の条件とは履修生として大学の授業を4つの受けて、その全てでB以上をとることだった。当たり前だが、英語のレベルが低い人しか英語学校には行かない。その英語学校の上級に上がったところで、大学の授業はまだ難しい。正直、初めて聴講した授業は全くわからなかった。何がわからないのかすらわからなかった。個人的な見解であるが、何がわからないかわかると英語が伸びてくる。わからないことについて質問出来るからだ。それもできないほど当時の私の英語は酷かったのだ。ボイスレコーダーを使って、授業後になんども聞く事もあった。それでもわからない。英語が下手な私にとっては友人を作ることも簡単ではない。それでも、親切な友人を作り教えてもらった。課題を提出する前には、何度もライティングセンターに行った。文法など文章を添削してくれる大学のサービスである。ほんの1・2ページの課題であっても何度も添削を受けることが多々あった。(修士・博士課程入学の戦略はこちら、学費免除の戦略はこちらを参照)

テニス部のボランティアコーチ(2012年1月〜5月)

英語を伸ばす事に必死だった私は同じ頃、テニスチームの監督にお願いし、ボランティアコーチにしてもらった。コーチになる事によって、アメリカ人の周りにいる機会を増やしたかったからだ。私の場合、これが留学を成功に導いたと信じている。日本に住んでいる多くの読者の方々には、いまいち想像が難しいかもしれないが、日本人がアメリカでアメリカ人の友達を作るのは難しかったりする。しかし、英語を伸ばし留学を楽しみ成功させるには、留学中の時間を日本人とだけ過ごすのではダメだと私は思う。毎日最低2時間半のコーチとしてのアメリカ人との会話には予習も何も存在しない。しかし、幸いな事に、私はその大学でテニスがダントツで上手だった為、皆私のアドバイスをよく聞いてくれた(強いチームではない)。ここでは余談だがこのボランティアコーチが修士課程の2学期からは正式な大学院アシスタントに変わり、おかげで学費が免除になった。(修士・博士課程入学・学費免除の戦略はこちらを参照)

修士課程に合格

ともかく努力を重ね、なんとか全ての授業でB以上の成績を頂き、修士課程への入学が決まった。英語のレベルを考えても、間違いなく誰よりも授業に時間を使った。長い道であったのだが、勉強にコーチにと日々忙しかったので、振り返れば履修生の1学期間は短かったようにも感じる。

誰にでも「夢」は叶う

「英語が苦手」という理由で留学を諦める人は、多いかもしれない。だが、英語が出来ないから留学を諦める、という方程式にはならない。この記事を読まれている皆様の英語はきっと、留学前の私とは比べ物にならない程上手であろう。私は留学を決めてからひたすらに勉強し大学教員まで辿り着いた。そこでこんな言葉を読者の皆様に送りたい。”If I can do it, anybody can do it.” 受験経験もなくセンター試験すらよくわかっていない私が留学出来るのだから、皆様に出来ない事はないと強く思う。留学は、今までの私の人生で1番良い決断であり、同時に1番恐ろしい決断でもあった。留学は、決して派手ではない。むしろ地味な勉強の嵐だ。しかし、夢を叶えたいと思う皆様が、この記事を読み、人生を大きく変える転機に留学する勇気を持って頂けるなら、これほど嬉しいことはない。もう1度、皆様にお伝えしたい。「夢」は叶う。次号の修士課程から現在の教員の仕事までの記事を書かせて頂くのでそちらも見て頂きたい。

岩月猛泰 (イワツキタケヒロ)
ペンシルベニア州立大学アルトゥーナ校
助教
Homepage: https://hiroiwatsuki.com/
YouTube: イワツキ大学(アメリカ留学を教員・学生目線で伝えるチャンネル)