インタビュー企画:田中彬義さん(バージニア大学)

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聞き手:釜堀恵輔(University of Washington)


まずは簡単に自己紹介をしていただけますか?

バージニア大学(UVA)の電気工学のPhD課程2年目の田中彬義といいます。

研究分野は集積回路の設計で、アナログ回路とデジタル回路を混載して面白いものと作ることに興味があって、今は色々と新しいアプリケーションをやっています。

ワシントンDCに桜を観に行った際の写真

大学院留学を志すまで

最初に海外大学院に興味を持ったきっかけは何でしたか?

大学2年生くらいの時に名古屋大学の夏休みにオランダのトゥウェンテ大学のサマースクールに行きました。その時は海外を舐めていたのもあるんですけど全然英語も喋れずに、とりあえず授業聞いてオランダを楽しんで帰るみたいな感じでした。でもやっぱり英語喋れないというのもあるし、ヨーロッパの現地の学生が熱意を持って授業を受けてる姿に感銘を受けて、自分が大学院に行くなら周りの学生が就活だけでなく学問にも熱意を持っている環境で学びたいと思ったのが一番最初のきっかけでした。サマースクール自体はゆるい感じで、内容は工学倫理のようなものでがっつり専門的な授業というわけではありませんでしたが、初めて海外で英語で授業を受けるという機会ですごい刺激になりました。

サマースクールに参加するってことはもとから留学とかには興味あったんですか?

それが全くなくて、日本の院試でTOEICが必要だから受けたら意外と800点くらい取れて、親から半ば強制的にお金出してあげるから行ってきたらという感じで送り出されて、こうなってしまったという感じですね笑。大学院留学してる人って高校や学部から海外大学院に行きたくて、学部だと金銭的にも厳しいから院で入れましたみたいな人が多いと思うんですけど、自分はそういう感じではなくて結構外部環境から影響されてという感じです。

あと一つ海外に目を向けたきっかけとしては、高校から直接海外の大学に行った友達がいて、そのタイミングで海外大学という選択肢の存在を知れたというのもあります。

高校は東京ですが、そこから名古屋大学に行ったきっかけは何でしたか?

名古屋大に行ったのは、元々半導体とかに興味があってある程度分野は決まってたから、東大みたいな進振りがあるところより入学した時から専門が決まっているところが良かったというのと、ちょうどそのとき名古屋大の天野浩先生が半導体というキーワードでノーベル賞を取って盛り上がっていたので、半導体でいい大学だと思ったのが理由です。

オランダの後にイギリスにも留学されてますね?

オランダに行った後にモチベーションが上がって、英語の勉強もしたし留学生向けに英語で開講されていた授業に自発的に参加したりしました。その中で名古屋大と協定があったケンブリッジ大学の2週間の短期プログラムの公募を見つけて、金銭的援助もあったのでどうなるかわからないけど応募してみました。幸運なことに行かせてもらうことができて、タイミング的にも2020年の3月前半のコロナが始まったくらいのタイミングでギリギリ行くことができました。ケンブリッジ大では現地学生と全く同じ授業を受けたり、交流して現地の文化を学んだりして、イギリスでの大学生活を経験しました。

授業はオランダの時よりも自分の専門に近い授業を受けました。日本と比べてみんな発言をするという違いはあるんですけど、知識面では言語の壁以外では意外と自分はついていけるんだなっていうことを知れました。その時学部2年の終わりくらいだったので、あと2年日本で頑張れば海外院に行ってもなんとかやっていけるかなという自信はつきました。当時の英語力は全然で、イギリス英語というのもあってリスニングは全然できなかったです。IELTSもリスニングが6とかで、ほとんど喋れないに近かったと思います。でも授業では先生もはっきり喋ってくれますし、講義資料とかでも補完されるのでその辺は大丈夫でした。このあたりで、海外に行けるかはわからないけどチャレンジしてみようという気持ちになりました。

バージニア大学の象徴であるロタンダ

出願まで

この時点から研究とかはしてたんですか?

この時点では研究とかは全くしてなくて、ケンブリッジ大から帰ってきたタイミングで海外大学院に行くには推薦状が必要だということで準備を始めました。僕の学部では研究室配属されるのは4年生だったので、そこで1通はもらえるにしても他の2通はどうしようとなって、学部3年の時に研究室にコンタクトを取ってみて研究を始めた感じです。

その時はどんな研究を?

その時は電気工学よりもCSよりのところに興味があって、ソフトウェアとハードウェアの協調設計について研究しました。当時はC言語しか書けなかったので高位合成(HLS)を使ってFPGA向けのハードウェアを作るみたいなことをやりました。研究室がソフトウェアとハードウェアの協調設計向けのツールを開発してて、それを使って色々アプリケーションを作れるのを見せたかったみたいで、ニューラルネットワークを使った画像処理をFPGAに落とし込むということをやってました。その研究室では1年くらいお世話になって、最初の3ヶ月か半年くらいはトレーニングじゃないですけど、輪講の資料をもらったりして勉強して、後半からもうちょっと手を動かしてみようという感じでした。

自分を見てくれたポスドクの方は技術に関しては割と厳しい方だったので、やや苦労したという面もあるんですけど、やっぱり何か新しいことを始めるには苦労は必要で、この時の経験が今の研究のアプローチみたいなものにはすごく役に立っていると思うので、今振り返るととても感謝しています。

その後IC系に分野を変えていますね?

1年くらいFPGAを触って、じゃあそのFPGAの中身はどうなっているのかとか、パッケージの中身を作ってみたいと思って、学部3年でやっていた研究は1年間で一区切りにさせてもらって、卒業研究では実際に集積回路(IC)を作ってる研究室に行きました。ICの研究ではバイオセンシングという、センサのアナログ情報をデジタルに変換して無線通信して読み出しできるようにするというのをメインでやっているような研究室でした。HLSとは全然レイヤが違い、コードを書いて処理するという感じではなく、もっとアナログよりで一つ一つのトランジスタのサイズとか、どうやってレイアウトをするかとか、TSMCにお願いして試作品を作ってもらって性能をテストするみたいな感じでした。SpiceやCadenceのシミュレータを使って、まずは機能検証をしてから実際にICを作れるようにレイアウトを作るので、コードを書くというよりは、手計算もたまにしたりしてVerilogよりももっと下のレイヤで回路を作るという感じです。

海外大学院への出願はどのように準備しましたか?

推薦状はその2つの研究室と、学部で半年間一つの実験をやる授業があったのでそこでお世話になった先生に頼みました。GPAは学部2年までは全く気にしてなかったけど幸いにもそこまでひどくなかったです。学部3年からは最低限は意識していきましたが、完璧なGPAを取ったというわけではないです。IELTSは学部3年で初めて受けて6しか取れなくて、これはちょっとやばいと思って何度か受けて、最終的に7を取れたのが出願前の10月とかでした。IELTSを選んだ理由としては、大学がIELTS講座みたなものを開いていてIELTSに馴染みがあったのと、個人的にTOEFLで100点よりもIELTSで7点の方が簡単だと思ったからからです。GREは受けましたが、Quantitative(数学)だけを満点に近い点数を取れるよう練習しました。ただそんなに重要視はされないし、わざわざ大阪まで行って受ける必要があったので、1回だけ受けて終わりでした。

奨学金は船井情報科学振興財団に採択していただけました。書類は結構力を入れてなるべくいろんな人に読んでもらうというのを意識しました。研究室の教授だったり、大学の留学センターみたいな所にもお願いしてgeneralなアドバイスをもらったり、あと船井に同じ学科出身の先輩がいたのでその人に連絡を取って見てもらったりしました。こういう書類はいろんな人に見てもらうのが大事だと思います。

SoPは奨学金向けに日本語で書いたものがあったのでそれをベースにして、あとはXPLANEさんのメンターシップを使ったり、ある程度できた段階で先述の先輩に見てもらったり、最後には英語エッセイ校正のサービスも使って準備しました。

アメリカ、イギリス、オランダ、スイスと色々な国に出願されていますね?

出願先は当時の指導教官の先生と相談しつつ決めました。ヨーロッパに2回留学していてあこがれがあったというのもあってヨーロッパにも色々出しました。ただアメリカと違いヨーロッパだと2年間の修士課程に出すことになるので、アメリカよりももうちょっと広めに出しました。アメリカだとPhDに直接出すので5年同じ場所にいることになるので、そうするとアメリカの方が5年一緒にやっていけるかという意味で自分の中での基準は厳しくなって、アメリカは個人的にマッチ度が高めの大学にだけ出しました。

もともとアメリカよりもオランダの大学に行きたかったんですけど、船井の面接の後に選考委員の先生からメールがきて、アメリカとヨーロッパの大学院の違いみたいのを共有していただきました。ヨーロッパにはポスドクとかでも行けるし、PhDをやる環境としてはアメリカの方が良いという熱いメールをいただいて、アメリカの大学院に方針転換しました。またオランダの大学にいた日本人の方と話す機会があって、修士課程の間は授業が忙しくてあまり研究をやる感じではないというのを聞いたので、それよりは研究ができるアメリカの方がいいかなと最終的に思いました。

分野的にアメリカとヨーロッパの力関係はどんな感じなんですか?

たとえばISSCCという集積回路で一番大きい学会だと、オランダの大学はアナログ回路のトラックを席巻していて、一概にアメリカが一強とは言えないと思います。論文の本数としては中国もどんどん伸びてきてますし。アメリカでもヨーロッパでもパワーバランスとしてはあまり変わらないという感じです。

いろんな国の大学に出してると書類の準備は大変ではありませんでしたが?

結局SoP以外の書類はほとんど使いまわせますし、アメリカ向けのを1本書いて、大学ごとの要件に応じてマイナーチェンジをする感じでした。書類全部を変えるみたいなことは必要なかったので、併願は個人的にはそんな大変ではなかったです。

出願先への事前コンタクトはどうしましたか?

指導教官とのコネがなかったところはとにかく教授にメールを送って返信があったらいいなくらいの感じでした。そんなに返信率は高くなかったですが、奨学金取れたあとはちょっと高くなったと思います。

その後の面接はどんな感じでしたか?

面接は12月末から2月にかけて連絡が来ました。1つは学部としてオフィシャルに面接のスケジュールが来ましたが、他のところは事前コンタクトした際のメールに教授から返信が来て面接がセットアップされた感じです。この時点でもあまり英語が上手くなかったので、面接の際にはなるべく視覚化して伝えようという戦略で、研究内容をまとめたスライドを5枚くらい作って5分くらいで簡単にわかってもらえるように準備をしました。大体ところどころで突っ込まれて、基本的な知識の確認をされているなという質問を受けました。

最終的に進学先はどうやって決めましたか?

バージニア大学とジョージア工科大学からPhDの合格をもらいました。自分の中ではこの2校の志望度ははっきりしていて、自分の興味がマッチしたのとadvisorが分野で有名な方だったので、バージニア大学を選びました。大学自体の知名度やランキングとしてはそこまで高くないですが、教授は分野では有名で業績も挙げている方なので、狙い所だったのかなって思います。やっぱり研究しててもいろんな先生と共同研究してるので、その意味でもアメリカの有名な研究コミュニティの一員になれるというのはすごいアドバンテージが大きいかなと入ってからは思います。

そこの研究室に合格できた決め手みたいなものって何だと思いますか?

奨学金は一つあると思います。あとは学部の時の研究とその先生がメインでやってる研究の方向性が結構似通ってたというのが大きいと思います。バイオセンサだったり、energy harvestingというバッテリ不要で集積回路を動かすというのをどちらの先生もやっていたので、うまく研究の方向性がマッチしていると見てくれたのかなと思います。

出願過程について全体的にこうしておけばよかったみたいなことはありますか?

コロナ禍で色々と厳しかったというのもあるんですけど、意外と海外の大学は学部生向けとかに研究インターンみたいなプログラムを提供しているので、もっとそういうのを積極的に探して参加すればよかったなと思います。実際海外の大学に行くこともできるし、推薦状のバリエーション的も僕は名古屋大3通だったので、広げられていいのかなと思います。

現在の研究

PhD留学開始後にどういう研究しているかについて話せる範囲で教えていただけますか?

今やってる研究としては、AC/DCコンバータっていうコンセントに刺すようなコンバータをどうやってうまくICを使って小さくするかという研究をしています。Energy harvestingと一見繋がりが無いように見えるんですけど、どちらもパワーマネジメントっていう入力に対してどう出力を安定させるかを考えるという点で共通しています。もともと研究室にあったenergy harvestingに関する研究リソースをどうAC/DCコンバータに活かせるかというのを今は模索しています。AC/DCコンバータというとかなり古典的な分野ですが、やっぱりまだ例えばiPhoneの充電器とかも全然大きいので、それがもっと小さくできたらすごいイノベーションなのかなって思います。こういった研究は前と同じようにSpiceとかCadenceを使ってやっています。今いる研究室はデジタル回路みたいな話もやっていて、アナログ・デジタル混載回路って呼んでるんですけど、SpiceだけでなくVerilogも使って論理合成して回路に落とし込むこともできるので、デジタルとアナログをうまく使い分けながら集積回路を作っている感じです。

研究室はどんな感じですか?

研究室には15人くらいPhD学生がいて、みんなICをやっています。ただデジタルとアナログでは結構必要なスキルとかも分かれているので、15人いる中でもなんとなく分野で分かれている感じです。他大学や企業とのコラボレーションもさかんで、今僕がやっているプロジェクトでは3つの大学と協力しています。

分野として今一番課題になっていることは何ですか?

個人的には集積回路は結構掘り尽くされていると思うで、じゃあどうやってイノベーションを起こせるのかというのを自分も悩んでいたというか、自然科学分野みたいな大きいイノベーションを起こせるのかというのは自分でも迷いがあります。分野としても岐路に立っているところではあると思います。さっきのAC/DCコンバータみたいな古典的に見えるところだったり、例えば服の中にICチップを入れようみたいな他の応用分野と融合して面白いことをしようっていうのが今の集積回路のトレンドだと思います。その中でどう新しい道を模索していくかみたいな段階だと思います。

すごい半導体技術者ってどういう人だと思いますか?

よく言われることとして、企業だと安全性とかを確保しなきゃいけないので保守的になりがちで、一方アカデミアだと結構攻めたデザインになりがちで、場所によって求められることが違うので難しい質問だと思います。自分の中ではそういう技術云々よりも、一つのチップを作るのに関わる人数がすごく増えているので、どうやってその人たちを取りまとめるのかとか、どういう設計方針で行くのかというのをみんなが同じページに乗っている状態で導けるような人がいい半導体設計者なのかなと思います。そのためにはいろんな人が言ってることを理解しなければいけないので知識が広くなければいけないなと思います。まとめると、いろんな半導体設計者をまとめて引っ張っていける人がいい半導体人材なんじゃないかなと思います。

バージニアでの学生生活はどうですか?

学園都市で、夏とか学部生がいなくなるとすごい閑散としています。場所としてはめちゃくちゃ田舎で、空気は綺麗だと思いますよ笑。山と森みたいな感じで自然は豊かです。僕はあんまり行かないですけどラボメイトはハイキングとかしてて、あと一回車で30分くらい行ってラボで乗馬をしたみたいな、自然を楽しめる人ならすごい楽しい場所だと思います。文化面では日本みたいな娯楽はあんまりなくで、レストランとかも都会に比べてそんなに美味しいわけでもないので、週末とかは草サッカーしたり、大学の施設でボルダリングしたりみたいな感じでアウトドア系の娯楽が多いですね。キャンパスに世界遺産があって綺麗ですけど、まあ慣れたらなんとも思わないし、最初の1週間くらいだけ感動できるみたいな感じです笑。やっぱり電車とかはないしバスも30分に1本みたいな感じなので車持たないとちょっとつらいです。

アメフトの試合の光景

最後に今後の目標とか夢とかあったら教えていただきたいです

あんまり期待されたような夢は持ってなくて笑。アメリカのPhDに来る人って、Twitterとか見てるとすごい壮大な夢を持ってる人がいると思うんですけど、みんながみんなそうではなくて、僕とかは結構自分が成長できそうな場所、自分が興味関心を持っていることができそうな場所に来たっていうだけです。今後卒業してからもそんな感じだと思います。まとまりのない感じですけど、まあそんな壮大な夢がなくてもアメリカとかのPhDに来てもいいよというのは個人的には思ってます。PhDの5年間は長いので、じゃあそこで何を身につけるのかっていうのと、何をしたいかっていうのを考えていけばいいと思うので、そんなハードル高く考えずに来て、頑張るだけですね。

自分の夢としては、やっぱりAppleだったりIntelだったりの大企業に行くっていうのももちろん一つの選択肢ですし、PhDの間で上手くいけばアカデミアっていう道も見えて来るかもしれないし、その場合ポスドクをやるかそのまま教授職を目指すかっていう感じです。いい意味で何も決めてなくて、インダストリとアカデミアを両方見てる感じです。

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田中さんのプロフィール:
https://www.akiyoshitanaka.uvacreate.virginia.edu/personal_page/
https://funaifoundation.jp/grantee.php?id=392&type=phd